イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

実家の猫が亡くなったのに……俺は……

 実家で飼っていた猫が亡くなったらしい。今朝通勤途中に親父からメールが来て知った。

 それにしても、飼い猫が亡くなって「悲報」とは……?せめて、「訃報」では……?そんなことはどうでもいいのに、腹を立ててしまう自分が悲しい。そして、猫が亡くなったのに自分のあり方に悲しさを覚えているあたり、もう既に雲行きが怪しい。

 

 職場に付いてから、就業開始時刻までの間で実家に電話をする。母が出たのは良かった。「悲報。」から始まるメールを送りつけて来つつも、あの親父が猫の世話をしているシーンはついぞ最期まで見ることはなかったからだ。多分、本当に可愛がっていたのなら、遠方に住む息子に亡くなった次の日の朝一番でメールしてくる余裕などないだろう。と言いつつ、電話を終えて、こんな文章を書き始めている自分も十分同じ穴の狢な訳だが。

 

 あんまり、世話してやれなかったなぁ……

 

 親孝行 したい時には 親は無し

 

 みたいな感じなのだろうか。小学生の時の自分が名前までつけてやったのに、最後の思い出は盆に帰省した時に自室の前に陣取っていたヤツとバトルしたことだ。もう一度バトルしたかったなぁ……俺はライバルに先立たれた少年漫画のキャラか。

 

 母親とのやり取りで亡くなるまでの流れを聞いた。3,4日前から徐々に元気が無くなっていってたこと。亡くなる前日はまだ水を飲ませてやろうとする母の手に抵抗していたこと。それでも、母がパートから帰ってきたら……もう、亡くなっていたこと。

 遺体は庭に埋葬したとのことだ。6年前だったか、飼い犬が亡くなった時と、恐らく同じような感じで埋葬されたのだろう。犬の時は自分もまだ学生で、穴を掘ったことを思い出した。母も思い出していた。

 今回は自分も妹も実家を出ていて、残るのは母と腰の曲がった祖母、そして冒頭で述べた親父だ。母は一人で猫を埋葬したという。言われなくても、そうだろうなと容易に想像が出来た。

 

 親父からのメールで知ったことを述べると、死者の話の前に親父への不満の話から始まった。

「メールするとかいう簡単で美味しいところだけする。穴掘るの手伝ったりとかは全然しない」

 離れて暮らす子供達に訃報のメールを送ることが「美味しい」ところかは分からないが、母の怒りとか落胆とか諦めはよく分かる。自分が実家にいた頃からそうだからだ。自分からすれば「訃報のメールを送ること」すら満足にこなせていなかったが、何やねん。悲報って。

 

 電話口の母の声はいつもと変わらなかったが、猫の話を聞かせてくれていた最中に

「アカン。喋ってたら思い出してもうて……」

 と弱々しい台詞が飛んできた。しまったと思った。親父からのしょうもないメールなどではなくて、母の声で直接聞きたくてすぐに連絡したのだが、浅はかだった。親父のいい加減で他人事じみた文面のメールではなくて、母の口から聞きたいという自分の感情を優先させてしまった。一番ショックを受けているのはどう考えても亡くなる間際まで世話をしていた母だというのに……

 結局は「俺は親父と同じか」と自分で自分が嫌になった。昔から「お父さんに似ている」と言われるのは好きじゃなかった。親父は、はっきり言って「カッコいい」とは言えなかったし、今も言えない。見た目も中身もだ。見た目の類似を指摘される方が嫌だった。しかし、今は圧倒的に中身の類似を指摘された時が激しく落ち込む。他者に指摘されずとも、自分で気付いた瞬間はとかく自分が嫌になって笑けてすらくる。

 流石に今回は猫の死があり、笑いは起きない。しかし、明らかに猫に死よりも、親父との類似性に鬱屈とした気分になっている自分がいる。そして、そんな自分とそんな自分を冷静に観察している自分にまた腹が立ってくる。

 

 母が椎間板ヘルニアを患ったことを電話の終わりにさらっと告げられた。マジかよ。恐らく、母に対して親父のサポートとかはない。特別母親想いではないが、今まで散々親父が面倒事をスルーして母親に問題の全てが向かう様を見てきたので、どうかもっと幸せになってほしいと思う。しかし、思えば思うほど、父と大差のない何一つとして母の助けにならない自分がいる。

 

 猫の冥福より、母の身を案じずにはいられない朝だった。

 

 

 いや、違うな。猫の死よりも、それを受けた母の状態、さらにそれを受けた自分の状態ばかり気にしている。これがまた自分の嫌なところだなぁと思う。いや、そこまで嫌だとは思わない。ただ、他人や社会からは好ましく見られない要素だとは思う。

 ある時期までは長年一緒に暮らしていた猫が亡くなった。それは悲しくて、寂しいことだと思っている。思っているのだが、今一つ喪失感というものがない。そして、自分の心の状態があまりにも平穏としていることに気付く。

 もう自分のことしか考えられない。

 

 十年以上一緒に暮らしていた猫が亡くなったのだ。本来ならブログなど書ける状態にあっていいはずがない。可愛がっていた母に悲しさを思い出させるような電話をしていいはずがない。

 

 猫を悼む気持ちも、母の現状を憂う気持ちもある。それはあるが、結局は自分の状態ばかり見つめてしまうのが自分が…………嫌だと言えるのだろうか?