イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

知識がない以上、自分のオナニーについて話すしかない。

 何か仕事中に悟りを得て「オカズについては語れなくても、自分のオナニーについてなら語れる」。という結論に至りました。そして、何でそういう結論に至ったのかを説明するというのをブログのネタにしようとしたのですが、何かダラダラとした文章を書いていました。文章の初めと終わりで言ってることに矛盾とかあるかもしれません。

 

 

 性欲の話。今朝は射精に至らなかった。理由は時間がなかったからだ。もう5分あればイけたかもしれない。お陰で微妙に悶々としている。

いや、正直にムラムラと言った方がいいのかもしれない。しかし「この感覚」はそんなに攻撃的というか積極的な感じではないのだ。もし、眼前に絶好の美女が現れて、彼女に何をしても許されるのなら………という訳ではなく、あくまでこの性衝動はオナニーで解消したいという感覚だ。

 

 とはいえ、自分は別にオナニーを神聖視している訳ではない。ただ、二人以上のエッチの経験がほぼゼロ故に「性欲はオナニーで解消するもの」というのが無意識の内に常識となっているだけだ。両者の内、一方が上で一方が下というような優越性の差異は恐らく無いと思う。少なくとも自分の中においては。

 だからなのか、オナニーにも別に特に強い拘りがあるわけではない。常にその時自分が一番至り易い体勢でするし、その時自分が興奮するものをオカズにする*1

 ただ、これは拘ろうと思って拘っていた訳ではなく、自然とそうなってしまっただけなのだが、基本的には自分の右手でしかイけない。この辺りの悲しくもしょうもない話はまた機会があればしたい。もしかしたら、所謂床オナなら出来るかもしれないし………

 

 今日はオカズの話をしたかったのでする。やっと、する。

 前述の通り特にオカズには拘りがある方ではないと思う。ただ、まぁオナニーのオカズに関わらずこのテの「自称:拘りがない」や「何でもいい」はよくよく話を聞いてみると拘りとかNGの塊なので信用してはいけない。自分も信用していない。文章にしていなければ、流してしまうところだった。危ない。

 さて、オカズに対して拘りがない(と言いつつある)訳なのだが、それを言葉にするならば「食べやすいオカズじゃないとダメ」といったところだろうか。自分で書いておいて無理矢理だなと感じる。

 具体的にはグロ、スカ、リョナ……後は寝取られる男視点のNTRといったところ。ちょっとクセの強いものは避けたがる子供舌だ。でも、女の子がしゃがんでう◯こひり出す時の姿勢は究極的にエロいよね。後、どんなに綺麗なお姉さんでも、ぶっという◯こしてるのかと考えると、結構興奮するな???そういう点では、むしろ自分はアイドルほどう◯こしてて欲しい。インスタにお洒落なパンケーキの写真と便器に召喚された健康的なう◯この写真を同時に上げてフォロワーの選別とかやってほしい。自分は見ないけど。

 

 誰が外に出たう◯こなんて見たいかよ。

 

 せめて、排便してる瞬間にしろ。それなら、まぁ……………可愛い娘なら見るかな………

 

 待って欲しい。スカトロの話がしたかった訳じゃない。本当はもっと、食べやすい、綺麗な絵柄とか、ムチムチで巨乳、それでいて奇乳の域には陥っていないような、そんな祝福されたオカズについて語りたかった。これは旨かった!心から、自信をもってそう言えるエロコンテンツについて語りたかった……

 しかし、悔やむべきは己の知識の無さ。語りたいエロコンテンツは数多あれど、自分の脳が書ける文章は「おっぱいが大きくてよかった。すき」くらいのものだ。違う。本当はもっと、せめて中学生が書く感想文程度の語彙は欲しい。が、如何せん知識がない。

 

「これはAV女優に限らないんですけど、女の人の髪型が変わっただけで顔認識機能がエラー吐くんですよ……」

 

 残念だ。このことから自分はAVを見る際、女優を顔や体で見ていないことが分かる。アニメのキャラくらい記号化されていないと認識できないのだろう。

かと言って、二次元に限って言っても、絵柄だけでエロ漫画化が判別できる訳ではない。これは絵柄、画風に拘りを持たないという訳ではなく、単に知識不足だと思っている。「この作家の絵なら絶対に分かる!」というほど読み込んでいないだけの話だ。もっというなら、この「作家の作風はこうで〜」みたいな解説ができない。いや、解説なんて膨大な知識に裏打ちされた丁寧なもの以外は疎まれるだけなのは分かっている。分かっているけど、それを知らない人にちょっとオススメできるくらいの知識は欲しいのが何というか性だ。何の性かは分からないが。

 勿論、効果的に紹介するには文章の書き方も重要だ。しかし、よく知らないことについては書けない。書けても超絶薄い文章になる。「いかがでしたか?」よりも薄くなる。3発目の精液くらい薄くなる。とにかく、知識の伴わない紹介文は読んでいてもつまらない。分かったか!?1、2年前の俺!?

 

 結局、オカズについては現状何も語れない。でも、自分の自慰については言いたい。吐き出したいのだ。今日はこんなんでヌきました。ここが良かったです。みたいな感じで。

 

 ああ。そうか。それでいいじゃん。自分のオナニーについて書けばいいじゃん。簡単なことに今まで気が付かなかった。「オカズの素晴らしさについて」なんて、わざわざ自分が言及する必要も意味もなかったのだ。それよりも、自分がどう勃って、どう果てたのかを書けばいいんだ。読書感想文の書き方が10年越しくらいに分かった気がする。

 

「オカズについては語れなくても、自分のオナニーについてなら語れる」

 

 この事実が言いたくて、5日間ほど平日の空き時間にだらだらと文字を重ねていた。或いは自分がどうやってこの事実に至ったのかを思い出したかったのかもしれない。文章にしてみるという作業は偉大だった。書く前から言いたいことは分かっていたが、ここまで書いて初めて自分の中の線が繋がって輪になった。正直言って「何を言ってんだ……コイツ……」という方が大半だと思う。自分の感覚は自分にしか分からないのだから。しかし、今自分の気持ちはとても晴れやかだ。いや、書き出す前より幾分晴れに近付いた。よかった。

 

 ブログもオナニーだ。自分の為に書くのだ。これからも書く。書きたい。言いたい。

*1:この点については「今日はコレで」程度の拘りはあるが