イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

冷静に考えれば独り言をインターネットに流すとか露出狂でしかない。

 自慰の話をしようと思ったんですけど、最近考えていること(を自分の脳内から外に出すこと)についての話になってしまいました。別の意味でオナニーですね。ブログは常にオナニーだから同じですけど。

 

 オナニーのサイクルに変化はない。今朝*1も一発出してから家を出た。

 昨夜は明日が仕事だというのに、かなり夜更かしをしてしまった。人生が一番楽しかった時代に出来た友人とのふれあいだったから仕方がないと思う。そんな友人との関係も互いに社会人になってからは悪い方向に傾いてしまったと思うのが最近の、いやもうここ2年くらいの悩みだ。恐らく原因は自分にある。自分が、社会人になったことで受けたストレスを学生の頃と同じように彼らに吐いてしまったから、彼らは気分を害してしまったのだ。彼らもまた社会人になり、余裕がなくなっているのだ。そのことを失念していた自分が悪い。反省しても遅い気がするが。

 やはり、社会に出るのは良くない。人は社会に傷つけられ、やがて殺される。とはいえ、別に今ここで社会批判をしたい訳ではないので、ここらで止めにしておく。友人との関係の話だって本題ではない。ただ、指に任せていたら打ち込まれていただけだ。でも、友人との関係の悩みを友達に話す訳にはいかないじゃないですか。結局はこうやってブログに書くか、夜道を歩きながらぶつぶつと声に出して暗闇相手にトークショーするかの違いしかない。誰かに見つかったら不審者扱い待った無しだろうが、そんなことは知ったことではない。口が勝手に声にして話すのだから。というか、もうぶっちゃけ不審者でもいい。多分、暗い夜道でぶつぶつと独り言を言ってはいけないみたいな法律はなかったと思うし、何も法律に触れてなくて、もう本人がそれでいいならいいだろ。

 こういうことは自分の頭の中だけに留めておけというのが社会からの通達か。いや、これでもかなり自分の中だけに抑えられるようになった方だ。小学生の頃なんて、思ったこと全部口に出してたぞ。それで「自分の意見をはっきり言えて偉い」とか褒められた。それが今では空気を読んで黙っていてもちっとも褒められやしないんだから、人生は辛いと思う。

 何の話だ。まぁ、その定期的に思ったことを「発表」しないとやってられないなってことだ。わざわざブログにしなくても、世の中にはそれ用のサービスもある。Twitterと言うのだが、これはダメだ。既に繋がりすぎている。具体的には件の友人数人とは相互フォローされている。相互監視とも言う。だから、まぁダメなのだ。とりあえず、友人達とは少しだけ距離を取ろうと思う。今までの関係を続けたいからこそ、ちょっとだけ繋がりを解く。

 ちなみに言えば、件の友人達にはこのブログの存在も作った時に言ってしまった、むしろ「ブログ作ったから見て」とまで言ってしまったからバレている。当時の自分を張り倒してやりたいが、そういうものなのであまり責めてやるでない。まぁ、今や多分誰も見てはいないはずなので、言わなきゃしばらくはバレないだろう。バレる頃にはバレても構わなくなってるハズだ。

「誰も見ていない」。そうだ。自分の中の考えを言葉にして外に発するだけなら、自分のPCの中のメモ帳にでも書き留めておけばいい。そうすれば誰にも見られる心配もない。それを何故わざわざインターネットに放流してしまうのか。それはきっと、見られたくないと思いつつ、見られたくもあるのだと思う。自分をよく知る近しい人には見られたくないが、自分を全く知らないどこか遠いところの人には見られたいのだ。見られてあわよくば、言及されたい。そういう欲が満ち満ちている。

 自己顕示欲、一般的には忌まわしいものとされる欲求。それに囚われているのだ。露出狂……そう言ってもいいのかもしれない。インターネットに何かを放つ人間は総じて露出狂の気がある。持論だ。

 露出狂と言えば、夜道で独りぶつぶつやるのも露出と言えば露出だ。出すのが言葉か性器かの違いしかない。ある意味言葉の方がより自分のありのままの姿であり、外に出すには憚られるものかもしれない。そして、夜道でぶつぶつやりながら、それを誰かに聞かれてしまいたいと、ふとした瞬間に思ってしまう。それはすぐに自ら否定するのだが、全て聞いているのは道中の家々のコンクリート壁だけだ。無論、コンクリートは何も言わない。何を言っても反応がない。冷静に考えればそこには虚しさしかないことは当たり前に理解できるが、精神が不安定な時などは実際にやらかしてみるまで気付けない。

 

 誰にも聞かせるべきではない話を語っている。近しい人に「聞いた」と言われれば死ぬほど恥ずかしい内容なのに、全世界に発信している。聞かれたくないのに、聞いて欲しい。二つの感情が自分の中のでせめぎ合うのを遠くに眺めつつ、実はもう勝負がついていることからは目を背けている。

 聞いて欲しい。もしかしたら、誰かが聞いているかもしれないという、一抹の希望を抱いてしまっている。もう、暗闇やコンクリート壁にお相手は務まらない。

*1:2019年10月23日(水