イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

自分のオナニーすら語れなかった。

 最近のオナニーについて書こうと思ったのですが、書き始めてから特筆するべきようなオナニーをしていないことに気が付きました。そこから「なぜ特筆するべきことがないのにブログを書こうとするのか」を自分なりに考えてみました。考えてみた結果、最終的にはインターネットにありもしない救いを求めているという結論に至りました。もしくは、無理矢理「自分は救いを求めているんだ」という結論で妥協しました。もういいです。

 

 

 オナニーサイクルに依然として変化無し。オカズの内容についても特筆すべきことは無い。勿論、(あえて書くと余計に誤解を招きそうではあるが)「特筆すべきことはない」というのはオカズにした作品が凡庸で語るに値しないという訳ではない。どのオカズも自分を射精まで導いたのだから、素晴らしい作品だ。ただ、どの作品も“普通に素晴らしくて”*1今さら自分がわざわざ語る必要がないというだけだ。むしろ、知識に乏しい自分じゃ語れない、というのは一昨日*2の日記に書いた。別段お世話になったオカズについて一切語ってはいけない訳ではないのだが、何となく今は憚られるのでやめておく。

 これも件の日記に書いたこととの繰り返しになるのだが、 やはりこんな知識もなく思い付いたことをただ吐き出している個人のブログにおいてわざわざ客観的な視点から既に一定の評価がされている作品について語るのはあまりにも意味がない。それもわざわざ、ムリをして他人の目に留まりそうな流行りの語句を駆使して書くなんて、本当に何の意味があるのだろうか。“中高生の背伸び”なら微笑ましいが、大人の背はもう伸びない。みっともないし、恥ずかしくなる前に止めるべきである。

 

(偉そうに説教じみた文章を並べたが、全ては“自戒を込めて”だ。自分自身に対するブーメランなのだ。だから気にしないでほしい。今は過去の自分の書いたブログがただただ恥ずかしい。でも、消すのは何か嫌なので残している。)

 

 オカズは素晴らしかった。それが自分のオナニーにとってどう素晴らしかったのかなら背伸びをせずに書けそうだ。ただ、今はそれについても語る気になれない。それは単純に最近の自分の日々のオナニーが平凡だからだろう。特筆すべきことがないのは自分のオナニーの方、だったという訳だ。

 特筆すべきものはないのに、何故文章を書き始めたのだろうか。おかしな話である。話したいが、話題がない。或いは話題がないのに、話をしたいような状態である。

 そこには、もしかしたら、ひょっとして、自分のオナニーは特殊かもしれないという期待があったのではないか。いや、自分のオナニーを「特殊だと思ってもらいたい」というずうずうしい願望を持っていたのではないか。

 人は(主語を大きくするのはよくないが)、心のどこかで自分に特別な才能や要素があると思っているフシがある。しかし、大抵そんなものはなく、平凡、或いは平凡にも満たない存在だ。頭ではそれが解っていても、それを心から認めることは難しい。自分が平凡な人間だと心から認められる凡人はある意味すごい。自分への期待を一切捨てて、ただまともに日々を生きていく。それはストイックな生き方と言ってもいいのではないかと思う。自分には出来ない。

 自分は日常の、あるいは人生の、あらゆる場面で自分が凡人かそれ以下の存在であるという事実を突き付けられてもなお、自分に対して何らかの期待を抱いている。「もしかしたら、俺は結構すごいんじゃないか」「もしかしたら、俺はクリエイティブな仕事ができるんじゃないか」等と……。

 

 暗い話になった。しかし、事実だ。自分の日常は良くて平凡なシーンの連続だ。それを無理矢理、エピソードとしてブログに仕立て上げようとしている。特筆すべきことのない日常を認めようとせずにブログに晒そうとしている。ブログにさえすれば平凡以下の日常がコンテンツ足り得るものになると勘違いしている。

 わざわざ自分の外に出して、人に見せるようなことじゃない文章を世に出している申し訳なさがある。ただ、自分の中の鬱屈を吐き出すことによって少しでも自分が楽になりたいという思いがある。そういう自由は万人にある。その為に恐らく誰も見ないようなブログを作るサービスがある。と思っている。問題なのは、それをコンテンツ化しようとする烏滸がましさにある。いや、コンテンツ化させるという努力があればまだいい。あわよくば、コンテンツにならねぇなかなぁ……という甘い期待こそが癌なのだ。

「人間は自分で思っている以上に他人に気にされていない。」という事実は常に心に刻み付けておかねばならない。刻み付けつつも、自分のことだけを外部に吐き出し続けることで少しでも自分自身を救済したい。辛くても黙々とやっていきたい。石窟の奥で石壁に向かって呟き続けるような孤独に耐えようと思う。

 

 

 オナニーの話はまた今度にする。

*1:この“普通に素晴らしい”という表現も大概知能が感じられない言葉遣いだと思う。

*2:2019/10/23