イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

俺はモンスターハンターワールドがどうしようもなく憎い。

モンスターハンターワールドがどうしようもなく憎い」

今回言いたい事はたったこれだけだ。文の量もかなり少なくなると思う。だったらTwitterでいいじゃんという指摘をされるかもしれない。自分もそう思う。しかし、毎日毎日楽しそうにモンスターハンターワールド(以下:モンハンワールド)に興じている友人達に監視されているTwitterでこのことを呟くのはかなりリスクがある。ひび割れかけている関係が完全に二つに別れてしまいそうになる程のリスクがある。それだけの理由でこっちで吐き出すことにしたのだ。まぁ、このブログが友人に見られる可能性も決して0ではないのだが。

まず誤解なきよう言っておくと、自分は『モンスターハンター』(以下:モンハン)というゲームが嫌いな訳ではない。そもそもそんなにプレイしたことがないので「良い」とか「悪い」とかあまり言及する資格自体がないように思っている。とりあえず、「モンハンワールドはクソゲー」と貶めることが目的の記事ではないということだけ理解して頂きたい。

自分のモンハンプレイの経験は3DSで発売されていた『モンハンクロス』及び『ダブルクロス』を件の友人に誘われて少し嗜んだ程度だ。そして、その時のゲーム経験はそこそこ楽しかったもののように思う。一人プレイでフィールドに出てリオレイアとかに追い回されて何とか倒した経験も、友人に着いていって何か異常に強い白いドラゴンと戦ったのも良い思い出と言える。今思い返してそう言える程度には自分は「モンハン」というゲームを楽しんでいたのだと思う。だから『モンハン』というゲームないし作品に対しては今でもそんなに悪いイメージはない。

何故、モンハンワールドを憎むのか

では、何故「モンハンワールドを憎んでいる」のか。予め言っておくが、その理由は極めて幼稚だ。それは単に友達をモンハンワールドに取られたからモンハンワールドを憎んでいるという理由だ。改めて文章にすると、幼稚さがより一層際立つ。要するに「敬愛している年長の友人が新しい習い事を始めた結果、自分と遊んでくれなくなった。だから、幼い自分はその習い事を何か凄く悪いものだと思うようになった。」この心理である。だから、幼稚なのだ。幼子との差異と言えばこの心理が「幼稚な感情」だと認識出来ていることくらいだ。

かくして、20代後半の肉体に幼い子供の精神を宿して、自分は今日も自分から友達を奪っていった「モンハンワールド」に憎しみを抱いている。僕の友達を返してくれと。

その感情に意味などない

「モンハンワールド」を憎み続けるのは自分の勝手だ。ましてや、自分は今初めて「モンハンワールド」への憎しみを自分の内から外に出した。「モンハンワールド」を憎むことで特に誰かに迷惑をかけているということはないと思う(恐らく、多分)。しかし、「モンハンワールド」を憎むことは自分にとっても何の特にもならないことだ。ただ疲れるだけの、精神エネルギーを無駄にするだけの感情の動きだ。そして、何よりいくら自分が「モンハンワールド」を憎んだところで、友達がモンハンワールドから自分の下に戻ってきてくれる訳ではない。だから、この感情は対外的には全くの無意味だ。

解決策を探る。

では、自分は一体どうすればいいのか。解決策を探ってみる。

  1. 自分もモンハンワールドをプレイする。
  2. どうにかして友達に合法的にモンハンワールドを止めさせる。

あまり数を思い付けなかった。パッと出てきたのはこの二つの案だけだ。両方の案の有効性を見ていく。

まず1.これは最も建設的というか、前向きな案だ。確かに自分も一緒にモンハンワールドを楽しめばいい。正直に「俺もやる」って言えばあれこれ指南しつつ一緒に遊んでくれるだろう。彼らも何だかんだでまだそういう優しさは持ってくれているはずだ。

ただ、問題点として自分がそんなにモンハンワールドをやりたくないという点がある。これは致命的な点だ。モンハンワールドがやりたかったのなら、初めからやっている。何故、しなかったのかと聞かれれば他に、モンハンワールドよりもしたかったことがあったからだ。友達と離れたくないという一心だけでさしてやりたくもないゲームをプレイすることが果たしてできるのだろうか。恐らく「するだけなら」可能だろう。だが、そういう「実はそんなにやりたくない」という気持ちはプレイにも現れてくるし、いずれは「頼まれてもやりたくない嫌なこと」になる。逆にそういう感情を抱いているヤツを連れて狩りにいくのは友達にとっても御免こうむることだろう。

そして、もう一つの懸念がある。それは例え「そんなにやりたくない」という気持ちを封印してモンハンワールドを始めたとしても、既にプレイをしている友達との間には歴然たる差がある。それでも、友達は自分が彼らに追い付けるとまではいかなくとも、戦力としてカウントできるところくらいまでは支援をしてくれるだろう(と信じている。信じさせてほしい)。友人間で未来永劫ずっとモンハンワールドがプレイされるのならそれでいい。しかし、そうはいかない。10人にも満たない人間の輪の中にも流行り廃りというものがある。自分が彼らに肩を並べられるようになる頃には、彼らは既に“別の”モンハンワールドに旅立っているだろう。というか、これまでもそういう事態は幾度となく経験してきたように思う。後からブームに着いていって、自分の中で軌道に乗った頃には周りには既に誰もいない。傍目にはさして上達していないゲームの腕前と自分の身一つがただその場に残されているだけだ。これは余りにも寂しい。正直言って、モンハンワールドに友達を取られた現状よりも辛い。

以上の点から比較的前向きと思われた1.の策は取れない。では、2.の策はどうか。これはかなり暴力的というか無理矢理の要素を含んでいる方法だと思う。“合法的”としてみたが、何かにハマっている人間をその何かから離すことはどう考えても暴力というか『悪』の要素が付きまとう。また、そもそも自分にそんなことが出来るのかという疑問が残る。合法的に友達をモンハンワールドから引き離すこと、これはいわば彼らをモンハンワールドに飽きさせればいいということになる。自分にそんなことが出来るとは到底思えない。1.の策と関連してくるが、要するにモンハンワールドに代わるブームを起こすことだ。それも自分主導で、なおかつ自分がやりたいことを。本職バリバリにマーケティングをしている人間ならいざ知らず、一番の友人からも隠れるようにコソコソ・シコシコと駄文を捏ねているこんな自分のような人間が、この難易度が高すぎる計画を成就できる訳がない。そもそも、失敗すればさらに友人との関係は冷え込む。冷え込むだけならまだしも、彼らとの間に修復不可能なクレバスがざっくりと口を広げてしまうだろう。そんなリスクを背負い込むことはとてもできない。勇気がない。

ブームの話をもう少し。結局は僅か数人のグループであってもイニシアチブというものがあるのだ。イニシアチブを持っている人間がブームを興せる。彼だけ(イニシアチブを取れるのは一人とは限らない)が自分の“好き”をグループ内に流行らせることができる。本人に圧力をかけてやろうという意思は恐らくないだろう。ただ、自分の好きなことを始めてそれについてグループ内で話しているだけだ。それだけでその他大勢がそれをブームにしていく。いわば無自覚の同調圧力だ。そうして、グループ内の政治というのは回っているのだ。

イニシアチブを取れる人間とはどういう人間か。それはコミュニケーションに長けた人間だ。この場合のそれは一般的なグループ外のコミュニケーション能力を指さない。グループ内でのコミュニケーション能力だ。つまり「コイツはこういえば味方になる」「コイツを味方にすればアイツは自然とついてくる」など、そういう部分を読み取る力のことだ。その能力に長けた人間がイニシアチブを取れる。

翻って自分はどうか。まぁ、さっぱりだと言わざるを得ない。元来からあまり人の心情を考えることが出来ない質だ。そして、あまりできない、不得手だからますますやりたくなくなって、やらなくなった人間だ。それはグループ内の人間にも知れ渡っていると思う。それでも、グループを追い出されたりしないところに友達というものの有り難みが詰まっているのだと思う。そう、だからある意味自分が今モンハンワールドに友達を取られて寂しい思いをしているのは必然なのだ。ある意味、昔からのよしみで、仕方なしで属させ続けてもらっているグループで、その中で最もイニシアチブから遠い人間、それが自分だ。そんな人間が自分の好きなことを皆にもやってもらおうなどと烏滸がましい。図々しいにも程がある。身のほどを弁えろ。

と、彼らは優しいからそんなことは口には出さない。だから自分もその優しさに大人しく甘えておけばいい。出過ぎた真似をせず、大人しく、頭を低くして孤独に耐えながらモンハンワールドのブームが終わるのを待つしかないのだ。

結局は自分自身の問題だから

如何にしてモンハンワールドから友人を取り返すかばかり考えてしまっていた。しかし、考える前からそんな方法などないこと、あっても自分には実行不可能なことは分かっていた。分かっていたが、文にしてしまった。結局は友達を如何にして取り返すかではなく、友達を取られた状態の中で如何にして自分の精神を健全に保つかなのだ。他者の動きはコントロールできない。特に自分のような人間にはそのような器用さはない。だから、他者の動向に依らず自分を見失わないようなそういう考えを持った方がいいのだ。少なくとも、自分のような人間は。それも分かっていた。分かっていたが、分からないフリをし続けていた。というか、今もしている。分かっていても、分かりたくないことがあるのは確かなのだ。許して欲しい。

友人関係がある。その中で自分の好きなことをブームとして流行らせる人間がいる。興ったブームに対して追随することで精神の安寧を得る人間がいる。そして、そのどちらも出来ない自分のような人間がいる。モンハンワールドが悪い訳ではない。というか、モンハンワールドが原因なのではない。グループ内でのコミュニケーションが恐ろしく上手くできない自分が悪いのだ。モンハンワールドはそのことを再認識させたきっかけに過ぎない。

だから、解決策というのは自分の精神の有り様を変えることだろう。言い換えれば考え方を変えるということだ。しかし、出来るのだろうか。自分は現状の辛さと現状を変えようする努力の辛さとなら、前者の方がまだマシと考えてしまうような人間だ。何というか、(これは普段意識している訳ではない)が自分自身を変化させることがこの上なく嫌いなのだ。「自分を変えよう」などと言うスローガンは全くもって無責任だと思う。子供の内ならまだしも、この歳になってから、自分を変えるなんていうのは死ぬほど難しい。それこそ、死んでやり直したい方が早いレベルの努力を有する。「努力しない内からできないとか言うな」?努力出来るならとうにやっている。努力しようと試みたこともある。しかし、それでも“出来ていない”のだから、もはや自分にとって努力は意味がない。

孤独に耐えられるか

努力に対する懐疑はまたの機会にしたい。今はこのどうしようもない寂しさをどうするかの方が重要だ。繰り返すが、寂しさは自分自身の問題という自分の認識は変わらない。自分自身の問題とした上で、寂しさを感じないような振る舞いの出来る(あるいは寂しさを感じないような考え方のできる)人間になる努力は不可能という結論にも達した。ともすれば、もはや寂しさを受け入れるという方向しか残されてはいない。カッコつけていうならば「孤独を愛する」か。

そうだ。孤独だ。孤独に耐えられるなら、孤独を苦としないなら、いくら友達をモンハンワールドに奪われても何のダメージもない。そもそも独りでいることには何の問題もない。独りで打ち込める趣味だってある。なるほど、初めからそう考えればよかったのかぁ〜

 

 

 

……そんな訳もない。やはり、孤独というのは辛いものだと思う。感じ方は人に依るが、少なくとも自分は辛いと感じる。だから「孤独が悪いことのような風潮なのは人々が孤独になると困る産業が流しているデマ」という力強い意見は力強過ぎて、自分には直視出来ない。「孤独の何が悪い?」と言われれば、「別に悪いと言ってない」と返す。そうだ。別に孤独が悪な訳ではない。ただ、寂しいだけ。ただ、寂しくて辛いだけなのだ。「孤独でいい」という人は強すぎて、とても参考に出来ないと、そう思う。

孤独に耐えることに意味とかない

寂しさとそれに起因する辛さは結局のところ今の自分にはどうすることも出来ない。今はそう結論付けざるを得ない。努力はどうせ出来ないが、少しだけ元気な日は孤独に向き合ってみようと思う。モンハンワールドを憎むのではなくて、モンハンワールドに筋違いの憎しみを向けた自分を憎もうと思うのだ。しかし、所詮は思うだけだ。実際に向き合うかは分からない。Wikipediaの孤独の項目によると、歴史上ではしばしば孤独が名画や名文を生んできたとあったがその何億倍もの数の何も生まなかった孤独があったに違いない。恐らく、自分の抱えている孤独もその何億倍もの方の孤独だ。自分には孤独を受けて、孤独に耐えて何かを生み出せるような、才覚も、タフさも、根性も何一つとして持ち合わせていないのだから。

寂しさに耐え続ければいずれ何かを得られる訳もない。何かを得たいから寂しさに耐えようとしているのではない。耐えるという選択肢しか取れないから、仕方なく耐えているのだ。というか、本当に耐えられていたらこんな泣き言みたいな文章は書いていない。耐えられないから、少しでも楽になれそうな気がしたから、こんな泣き言を指から発してるのだ。