イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

俺もプリキュアに抱きしめられながら嘔吐したかった。

 ※この文章は『HUGっと!プリキュア』について言及していますが、設定などきちんと確認せずに書いた為ちょくちょく間違っている(事実と異なっている)部分があると思います。申し訳ありません。

 

 

 今年のプリキュア、『HUGっと!プリキュア』は時間が合えばなるべく視るようにしている。なるべく視ていきたいなと思う程度には面白いと感じる。いや、何だか偉そうな言い方になってしまったが、「ああ、今後も視たいな」と思うのは確かだ。

 何が面白いのかはまだわからないが、「女の子が頑張っている」という画は精神衛生上非常にいい。ガルパン*1もそういうところが好きだ。大好きだ。

 「なるべく」と書いてしまった。そもそも第1話を視ていないので、話がよく分かっていないというクッソ不真面目な視聴者なのである。これは恥ずべきだと思う。だが、事実なので初めに書いておかないわけにはいかない。そして、それならばここから毎話欠かさず視ていけるかというと、それも難しい。就いている仕事柄出勤日・時間ともに不規則な為、日曜が休みとは限らないのだ。だから、『HUGっと!プリキュア』はなるべく視ていく。

 そもそも、プリキュアを見得るのに日曜が休みと限らない仕事に就いてしまったのが間違いであると言えば間違いなのだが、就職活動に手こずっていた当時の私からすればあまり職を選ぶ余裕はなかったのだ。そう、プリキュアくらいの年齢から将来について考えていればこんな未来を迎えることもなかったかもしれないのに。ちなみに私がプリキュアと同い年あるいは同年代であった頃、私はプリキュアを視聴していなかったし、プリキュアを視聴する成年男性を侮蔑の目ですら見ていた。だが、今にして思えばあの年齢の頃にこそプリキュアを視ておくべきだったのではないかと思う。思春期男子、ティーンエイジャーの入り口に立った男子にこそプリキュアが必要だ。エロサイトを巡っても構わないが、プリキュアも視ておくべきだ。きっと明るい未来に繋がると思う。

 一体、これは何の話だ・・・?

 『HUGっと!プリキュア』(以下:はぐプリ)の話に戻りたい。『はぐプリ』の面白さはそんなこれまで真面目に視ていないし、これからもストーリーを飲み込めるか怪しい視聴者の屑のような男にも優しい点であると思う。つまり、たまたま視聴できた一話、その一回だけでも面白いという点だ。プリキュアは可愛いし、話もいい(その回でどういうことを視聴者に伝えたいのか分かる)し、後プリキュアも可愛い。

 そして何よりも、プリキュアという少女が平和とか未来とかの為に頑張っているという画が素敵だ。自分より若い少女に自分にはない輝きとか気力とかを見出すことは大人としてこの上なく情けない姿なのではないかと自分でも思う。しかし、見出さずにはいられない。いや、感じずにはいられない。

 情けないといえば、プリキュアに人間として大事なことを教えられている自分を見つけた時のダメージも結構すごい。『はぐプリ』は「将来は何になろう?」という思春期少女*2の迷いとか可能性の要素も(恐らく)あるのだが、ここでも働くこと、社会人になることへの抵抗を見せていないと感じる。

 常々「できることなら仕事をしたくない」と思い描いている私とは大違いの立派さだ。プリキュアすごい。 

 プリキュアと同い年くらいの頃の私はもっと将来について適当、というか何も考えていなかったし、そこから数年後には「もしかしたら俺は社会不適合者なのでは???」という疑い*3すら抱いていた。さらにその数年後には親の前で「隠居したい」と宣い、怒られ、現在では不本意ながら社会人になってしまっている。やはり、思春期の入り口に立った「あの頃」にプリキュアを視ておくべきだったのだと思う。

 プリキュアの話をするはずが醜い自分語りを挿入してしまった。そういうところダメだな。気を取り直して「はぐプリ」の話をしよう。

 ちょくちょくダメダメ社会人をぶっ刺してくる「はぐプリ」だが、ぶっ刺すだけではないちゃんと癒してもくれる。これは『はぐプリ』に子育て(今の私には何故かは分からないが、はぐプリの面々は赤ちゃんを育てている)の要素があるが故の産物だろう。

 先ほど「この上なく情けない」と書いたばかりだが、訂正したい。母親に甘える子供のように少女に甘える成人男性という画。情けなさでいえばこれが断トツだと思う。俗にいう「バブみ」というものなのだろうか。分からない。しかし、情けない姿であることは否定できないが、現代社会の成人男性を癒すにはそういう要素が必要なのだと思う。だから、「バブみ」という概念や言葉が生まれたのだ。ということにしておきたい。

 しかし、自分が「はぐプリ」に癒されたというか、「救われた」と感じたのは先週の放送だ。この日は二日酔い故に起きた時点で8:45で半分弱くらいしか『はぐプリ』を視ることができなかった。やはり、視聴者のクズである。あ、こういう時に「でも、半分でも視ようとして頑張って布団から出てテレビ点けたんだね!それってすごいことだよ!」とか言って励ましてくれる優しい女性待ってます。

 テレビを付けたら何か敵組織の幹部っぽいヤツが変身したと思われる怪人と闘っているプリキュアの姿が目に飛び込んできた。完全に物語の重要なポイントになるっぽい回である。だが、初めからストーリーの大筋は分かっていないのでそれはもういい(よくない)。大事なのは決着のシーンだ。

 ピンチに陥ったプリキュアの前に敵を打ち負かせるであろう新たな力を帯びた武器が現れて一発逆転!という展開。しかし、キュアエール*4はその武器(力)を拒否するのだ。「この人(敵)を救うのに必要なのはこんなもの(武器・暴力)じゃない!」って感じで。すごい、これが14歳*5の選択なんですよ???当時の私なら、いや一般的な14歳ならこんなん「よっしゃあああああ!!!死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」って感じでノリノリで敵にとどめを刺すと思うんですよ。それを拒否って、キュアエールすごい。女の子は誰でもプリキュアになれるのか怪しい。

 感極まって思わず敬体が出てしまったが、キュアエールはこの後の行動も素晴らしい。なんと敵を抱きしめるのだ。彼女は変身する際に「輝く未来を 抱きしめて」とセリフを発するのだが、輝く未来の対極に位置するであろう敵を抱きしめる。そして、敵に優しく語りかける。救いに必要なのは武力ではなく、優しさや愛なのだと、恐らく誰が見ても理解できると思う。そんな素晴らしいシーンだった。

 さて、この一連の素晴らしいシーンを視た後、私は昨日の自分の状況を強烈に思い出していた。正確には敵がキュアエールに抱きしめられながら、何か体内の邪悪なエネルギーみたいなのを天に向かって吐き出しているの見た瞬間、私は昨日の自分の状況を強烈に思い出していた。

 前の日私は仕事でミスを犯していた。そして、そんな沈んだ気分を晴らすべく帰りのスーパーで買って帰った

 

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 ストロングゼロ×2。

 貧相な食事と共に胃に流し込まれるストロングゼロ。すきっ腹にアルコールは良くないとかペースが良くなかったとか色々と原因はあると思う。だが、春の夜の 虚無に佇む レオパレス まともな晩酌などできる道理はなかったのだ。結果、悪酔い。

 そして、嘔吐。ストロングゼロで身も心も現実もぼやかしたツケを便器に向かって払い続ける夜となった。そして、朝。頭痛とも言い切れないクラクラした感覚でプリキュアを求めてどうにか布団から這い出るところに話は戻ってくる。

 正直、頭の状態がいつにも増してかなり悪かったので、プリキュアの戦いもあまりちゃんと視れてなかった。今なら分かる。ストロングゼロは嫌なことだけでなく日常に溢れている大切なこともぼやけさせてしまうので注意が必要だ。だが、敵が何か嘔吐していたことは見逃さなかった。敵がプリキュアに抱きしめながら嘔吐していることは見逃さなかった。

 

 俺は昨日、便器を抱きしめながら嘔吐したっていうのに???

 

 

 

 

 

 プリキュアみたいに抱きしめてくれる人が現れた時の為にもう少しまともな社会人を目指したいと思います。

 

*1:ガルパンは去年に友人から勧められて見ました。とてもハマっちゃいました

*2:少女に限ったことではないが、プリキュアなので少女

*3:この疑いは強ち間違いではなかったと思えるが

*4:センター張ってるピンクのプリキュア

*5:公式サイトに中学2年と書いてあるので多分14だと思われる。まだ4月だから13かもしれないけど