イッツ・マイ・オナニー

思ったことをそのまま書き出してします。色んな意味でオナニーです。

最近とこれからについて思うこと

「生きている」という実感は余り無いが、それでも何だかんだで生きている。ただ「自分の足で生きていく」というのは言葉以上に難しいんだなと日々感じる。それならいっそ一生他の誰かに寄生して生きていった方がいいのではないかと。
しかし、誰かに寄生するにしてもコミュニケーション能力(コミュ力)が問われる世界だ。コミュ力のある乞食から順に養ってもらえるのだ。きっと。もしくは、類稀なる才能を持っているが、たまたま乞食に身をやつしている者かどちらかだ。
「才能」と書いたが、違う。それは今まで蓄積してきたものがあるかないか。或いは何を蓄積してきたか。親や社会に否定されても何かを自分の中に蓄積してきたか、親や社会に薦められたものでもいい。とにかく「自分の中に何かを蓄積してこれたか」。これが重要だ。これと才能が結び付いて初めて何らかの成果が世に現れるのだ。
自分には何もない。才能の有無はまだ関係がない。そこまで到達していない。自分の中に蓄積されたものが何もない。何も自分の中に溜めてこなかった。外側しかない空き瓶のような人間だ。その外側も別段優れているわけではない。中に何も容れず飾るだけにしてももっとマシな瓶は無数にある。容量も大してないかもしれない。しかし、容量の無さを気にする段階ではない。まずは何かを容れなければならない。
奇特な事にこんなに何もない人間に仕事を与えて給金を支払おうという会社がある。普通に考えれば有り難いことだ。何も内に溜めてこなかった自分を雇った会社の意図は何か。溜めるものはこれから溜めさせればいいという期待があったのか、それともとにかく瓶という人手が欲しかったのか。或いはその両方か。理由はどうであれ、有り難いことに違いはないのだが。
しかし、務まらない。最近この仕事は自分には務まらないと感じる機会が増えてきた。手に負えない。もう、やりたくない。
普通ならそこで務まるように自分の能力を高める努力をするのだろう。瓶で言えば「何か」を容れるように努力するのだろう。しかし、それはしたいと思わない。もう、頑張って仕事はしたくない。
雇ってもらっておいて贅沢だが、自分の中に溜めようと思うものがもう今の勤め先には無いと思う。または初めから無かったが誤って雇われてしまったか。いや、初めから無かったように思う。無かったことは分かっていたが、当時はそれでいいと思ったのだろう。これまで何も自分の中に溜めてこなかった事が分かったから、本来溜めたかったものを溜められてこなかったから、それでも何か職に就かねばならぬと思っていたから、本心からやりたい仕事ではなかったが、今の仕事に就いたのだ。

もう、今の仕事を続けたい、今の仕事を頑張りたいと思えないので、近い内に転職をする腹積もりでいる。しかし、最早本当にやりたいことを仕事に出来る歳ではない。だから、仮に首尾よく次の仕事に就けてもまた似たようなことで悩むのだと思う。そして、やがて引けない歳になって「自分」を諦めて残りの寿命を生きる苦しみに費やして終わるのだろう。
いや、そもそも寿命を費やすこともできやしないのではないか。やりたくない仕事にすら就けない。生きる苦しみを考えるというある意味贅沢な思考を持つことは当然できない。今以上に余裕のない生活が始まる気がしてならない。
そうならない為に今努力しよう。と、口で言うのは簡単だ。実際に努力する者は思っても口には出さない思った次の瞬間には努力を始める。自分にはそれが出来ない。だから、文字をこねくり回している。